信じられないかもしれないが、事実である。

若い人たちには、ひょっとして知らない人がいるかもしれないが、Jacky Ickxとは、自動車の歴史に名を刻んた天才ドライバーの一人である。
1981年、私たちが当時のマツダオート東京チームの一員として、本格的な「ル・マン」挑戦を開始した年、彼は既に「ル・マン」の英雄であった。この年、ポルシェを駆ったJackyは、見事に自身の5勝目を挙げたのである。

時は移り、10年後の「ル・マン」。
Jackyは、日本車初の総合優勝を飾ったマツダチームのピットにいた。「ル・マン」を愛し、「ル・マン」のすべてを知り抜いた彼のアドバイスは、
マツダ優勝の陰の力として、大きな戦果に結実したのである。

そのJackyが、日本に来た。小さなテストコースで、FDのステアリングを握った。
長年の戦友である寺田陽次郎との関係は、AutoExeへと引き継がれ、「ル・マン」のみならず、そのコンセプトを汲んだ商品開発にも及んだのだ。
その最初の果実が、このFD-02である。

「運転の上手さは世界一」と寺田が感嘆するJackyのドライビング。

1945年、ベルギー生まれ。著名なモータースポーツジャーナリストであった父のもとに生まれ、ごく自然にモータースポーツに触れる環境に育つ。
若いときから頭角を現し、’65年、ベルギーサルーンカーレースでロータス・コルチナを駆りチャンピオンを獲得。
その後ヨーロッパの耐久レースやF2選手権で勝利を収めた後、F1デビュー。フェラーリ、ブラバム、ロータスなどのメジャーチームのステアリングを握り、8勝を獲得。
ル・マン24時間レースにおいては前人未到の最多6回の優勝。また、パリ~ダガールラリーにも参戦し’83年に総合優勝。世界三大レースを制覇した、唯一の男として知られている。
近年は、F1モナコグランプリや2001年ル・マン24時間レースのレースディレクターを務めるなど世界のモータースポーツ界に貢献し、昨年にはフランス「ル・マン市」の名誉市民にも選ばれている。

テストを終え、AutoExeオフィスに。
FD-02のボンネットに、記念のサイン。

Jackyと共に来日した愛娘のバニーナ。父イクス氏のコ・ドライバーとしてパリ・ダカールラリーに出場。主にGTカー、ツーリングカーなどのスポーツカーによるレース活動を行っている。2001年「ル・マン」に初出場を果たし、父親譲りの速さを見せた。

F1グランプリ
■1968年/フランスGP(フェラーリ)優勝
■1969年/カナダGP(ブラバム)優勝
ドイツGP(ブラバム)優勝
■1970年/オーストラリアGP(フェラーリ) 優勝
カナダGP(フェラーリ)優勝
メキシコGP(フェラーリ)優勝
■1971年/オランダGP(フェラーリ)優勝
■1972年/ドイツGP(フェラーリ)優勝ル・マン24時間レース
■1969年/優勝(フォードGT40)
■1975年/優勝(ミラージュフォードM8)
■1976年/優勝(ポルシェ936)
■1977年/優勝(ポルシェ936)
■1981年/優勝(ポルシェ936-81)
■1982年/優勝(ポルシェ936-82)パリ~ダガールラリー
■1983年/総合優勝(メルセデス280GE)
■1986年/総合2位(ポルシェ959)
■1989年/総合2位(プジョー405)