ご声援、ありがとうございました。
326周/総合13位・(LMP2クラス2位) 

この年のル・マンは、その74回の歴史で初めて、ディーゼルエンジンに勝利を与えた。特殊であることの共通項でロータリーエンジンを振り返るなら、その栄光は1991年に記録されている。あれから既に15年、初めてル・マンを走った1974年から33年目、寺田の挑戦は今年も続いた。

その間、寺田が実際にル・マンを走ったのは、1975-78年と1980年の5年が欠席だから28回だが、厳密には1979年が予選不通過のため、公式な参加記録は27回である。そして、これが現在の現役最多出場記録となっている。

その27回の内訳は、マツダオート東京時代が4回、マツダスピードからの公式参加が9回と、いわゆるワークス体制での参加は半分に満たない。ワークスを離れた後の独力での参加が、既に14回と過半に達しているのである。

細かな数字を羅列して恐縮だが、今年、レース決勝の前日に主催者から「スピリット・オブ・ルマン」なる功労賞が寺田に与えられた背景には、このような年表があったのだ。

レースの経過は別項でご覧いただくとして、初参加のチームとしては、まずまずの結果であった。自身に期待される使命を確実にこなしつつ、自らもレースを愉しむことに貪欲な寺田が見据えるのは、既に現役を離れたアンリ・ペスカローロの最多出場記録33回である。